今までで一番衝撃を受けた国(バドミントン)

海外で初めて優勝したのは中学生なんですよ。
イギリスです。
ヨーロッパジュニアみたいな大会なんですよ。
それに初めての国際大会で…、全日本ジュニアを二年生の時に優勝して、ジュニアナショナルみたいな形で選ばれて、でイギリスに行きました。
2週間行ってて、最初の一週間はホームステイみたいな形で、残りの一週間は大会みたいな形で、それで日本人結構優勝している人いるんですけど、シングルスで人生初めて海外で優勝した大会でした。

Q、一番過激だった国、衝撃を受けた国ってどこですか?

私一番衝撃を受けたのはシンガポールです。
シンガポールって湿度が80%ぐらいあって、外がいつも蒸し暑く、室内はいつも冷房が入ってるんです。

室内はエアコンがすごいから冬ジャージを持って行ってて、でも試合になると暑くなるから半袖短パンみたいな格好でやるんです。

日本って環境が良いから、体育館に空調とかって昔なくて、それが国際大会いったら、横から見ててもサイドアウトになるだろうなって球も空調によって入ったりするんですよ…、

後ろのバックラインも、弾の軌道みて「あっアウトだ」って判断して、それが最後入っっちゃうんですよ。

「なんだコレ?」って。
ようはシンガポールオープンっていうのは、外が暑いから常に空調が入っているんですよ。
でもそれはいつも常にかかってるから、敵意とかはないけど、こんな国があるんだ、というかこんな大会があるんだ、ってことに衝撃を受けたんですよ。

Q、ヨネックスオープンって出たことあるんですか?
ヨネックスオープンに出たのは高校1年生の時で、自分の自慢話みたいになっちゃいますが…、
高校一年生の時に初めて出させてもらいました。
今は代々木体育館って決まっているのかもしれませんが、その時は駒沢体育館でした。
埼玉から一人出て来て、右も左もわからず、変な勧誘に祈らせてくれって言われてしまったりとかありましたけど。

でもまあ、ヨネックスオープンって勝った事なかったんですよ。
ただ高校三年生の時に、アトランタオリンピックが終わった年で、主要選手が全員出てこなかったっていうのがあったかもしれませんが、たまたまベスト8に入ってしまって。
高校生で、初めて数面しか張っていないコートで試合したんですけど、最初6面張ってあったコートも、ベスト8以上になると、4面に代わるんです。
それ以上の決勝とかで1面になるんですが、高校三年で初めてベスト8に入って、社会人1年目の時にシングルスでベスト8に入って、でもそれ以上行った事がないんで、やっぱりね…

私がオリンピックに出るまでの道のりを簡潔にいうと、今とはルートが違うんですよ。
その当時だと、日本代表選手に選ばれて、日本代表として派遣されてグレードの高い大会に出る。
それによって、負ければ点数が入らない。
勝てば点数が入る。そういう形なんですよ。
それが私がオリンピックを出たときに、周りの方に言われていたのは、2000年は間に合わないから次の大会を目指しなさいって言われてたんです。
ただ社会人になった時に、2000年のオリンピックに出るって目標をすでに持ってたんです。
だから自費で行ったんですよ、国際大会に。笑
自費自費自費…笑、で自費で行って。。
だからそんなにグレードの高い大会に出れないんで、まあAグレード大会っていう、★は付かないんだけど、国際大会っていう。
それに出て、最高で優勝、最低でも3位、それ以外は取った事がない。
その中でヨネックスオープンに出場したんです。
で、オリンピックに出る為には、最低8か国戦わなければ行けないんだけど、ポイントの計算が、国際大会8か国のポイントで割るんです。
だから5試合しか出てなくても、割る総合得点の割り算が8になっちゃう。
だから優勝してても、一試合だけだと一回戦負けと同じになっちゃいます。
そうなった時に8大会は全てでようと思って、まあその当時、毎日新聞の記者の方に応援されたり、色々ありましたけれども。
批判も凄い受けたんですよ。
ただ最終的にはオリンピックの候補になってしまえば、今まで色々言っていた人もなにも言わなくなります。お前が一番色々言ってただろう、って人も、おめでとうって、やってくる。
初めて大人って汚いんだなって知ったのがその二十歳の時です。笑

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